歴史ロマン講演会:南関東の古代史の謎とロマン!ついにつながった?!


奈良時代の官道 大和朝廷の大街道“古代東海道”と七つの痕跡

~武蔵国府(府中)から多摩・相模野・大磯高麗山まで~


 

 

■会 場:多摩市関戸公民館8階 大会議室 14:00~16:06 (受付開始 13:10)

■参加費:700円(団員) 1,000円(一般)  (資料代共)

■講演者:宮田太郎 団長 (歴史古街道団代表・古街道研究家)

■参加者:79名

 

■内 容

今から1300年前に、大和朝廷は飛鳥・奈良時代に、全国に66箇所の国を造り政治・軍事・物資輸送の為に大規模なハイウェイを建設しました。

 

特に畿内地方に五つ、九州・四国・本州に七つの官道を整備し、国府と国府を結んでいました。

 

そのうちの「古代東海道」も、最大幅10~12Mと規模が大きいが故に認識されにくいながら、武蔵国府(府中)と相模国府(海老名、平塚、大磯高麗山)の間では、7箇所の推定痕跡や遺構を確認しました。

その連続する様相、ダイナミックな姿、距離計算について画像を用いてお話しします。

 

■感 想

7月18日(月・祝)の「多摩丘陵の12古街道」ウォーク・”鎌倉街道山の道を高尾から小田野城跡まで歩きたい!”以来、約2ヶ月ぶりの団の活動でした。

 

台風14号の影響による風雨予報で、何人の方が来られるのかと心配されましたが、約80名の参加者で会場は一杯になりました。 この時期、隣席との間隔を考慮し、机1つに椅子2席で会場を設置しましたが、机が足りなくなってしまい、急遽椅子のみを並べ、運営委員はそちらへ移動しました。

 

武蔵国府から相模国府への古代東海道にある7か所の痕跡は、開発され尽くされてしまった為、現在歩いて見つけることは困難ですが、赤色地図等によってそれらが明らかになり、痕跡や周辺の様子を想定できるようになりました。

 最大幅10~12Mあるような大規模の道は、国分寺の東山道武蔵路跡から推察されますように、メンテナンスが大変なっていっていずれ廃れてしまい、道跡が分かり難くなってしまう、といったことも考えられます。

 

“古代東海道の遺構を探る”シリーズの10月<勝坂の峰坂編>、11月<大磯編>で現地探索に行きますが、発掘調査をしてみたら、踏み跡硬化面やピットが出て来るかもしれませんね。 (11月<大磯編>は、事前申込みでもう終了しました)

 

もう1つのテーマ古代駅家があった?では、原則として30里(約16キロ)ごとに駅家を置き、駅馬が常備されていたのですから、人馬の休息や案内のことを考慮した場合、距離的に「神奈中野津田バス車庫」付近にも駅家があったのではという推察。こちらも発掘調査してみたいものですね。

 

チラシの写真(計7箇所の古代東海道・推定地)

①多摩市打越山遺跡

②防人見返りの峠脇の畑地

③多摩よこやまの道の尾根で並列する大規模古道遺構

④野津田上ノ原の人工的窪地形

⑤相模原市大野台の林の中の遺構

⑥勝坂の遺構

⑦大磯高麗山中腹の遺構


ー講演会の様子ー